昭和42年01月31日 夜の御理解



 神様の心まかせに動かせて頂いておる、ならせて頂いておる、そこに心の安らぎがあり、その安らぎに尽きぬおかげが受けられると言う様な信心生活。まぁそういう信心が、頂けれると、非常に信心が有り難い事になってくると思うですね。そういうその神様まかせにならせて頂くその心というても、こういうような事があるんですね。今日福岡から、まぁお参りしてくる方なんですけれども、息子さんの結婚式の問題ですね。
 一回結婚に失敗をして、それから次々と見合いをされましたけれども、こちらが気に入っても、向こうが気に入らん。向こうが気に入っても、こちらがいやだといったような風で、そのいっこう、まぁそのために親子の者が悲観しておられるくらいな状態であった。ところが先日から、懇意にしておられる方から電話がかかってきて、こういう人があるが見てみらんかという事であった。
 そこでそのお母さんが、ここに御神意を頂きに来られたんですね。ところがこれは見合わせておいたがよかろうという事であった。そこでその、先方にそのことを断りを言わなければならなかったんですけれども、何か仕事にまぎれてその2、3日向こうに断りを言う事を忘れて、そのまぁ失念してあったんですね。ところがその2、3日後に、また先方から電話あの、こちらから電話をかけられたんですよね。
 あんなに見合いまでしてくれって、してみらんかという事であったけれども、どうも本人が気が進みませんからというて断ろうと思うて電話かけられたんですね。ところがあれからもう、2、3日、日にちも経ってると。だからもうあんた方が見合いしてくれるもんだと思ってから、向こうの方には何時何時何処何処でその小唄の会があって、そこの会場で、あちらの御両親ももう娘さんをつれて、見えるようになってそこで、見合いをしてもらうようにち、ちゃんと話決めとるげなち。
 まぁそのとにかく私の顔だけにでも、まぁ断るとは私の役目だから、私は断るからまぁとにかくあの、見合いだけはしてくれ、でないと私の顔が立たんからというような事だったんですね。それでまたお伺いみえたんです。そしたら、あの楽な気持ちでお見合いされたがよかろうという事であった。それですからその、息子さんも、どうせお母さんこうして見に行ったところで、遠いんですよちょっと。
 門司か下関かである、山口の方ですから相手が。それでその見合いに親子で行きよるけども、何ん楽しみんないこつに神様がいかんと言うちゃるとじゃけんで。というような楽な楽な気持ちで二人とも行ってあるんですね。そしてまぁ見合わせたところが、もうこちらの家風といい、その好みといい。又娘さんの、まぁもです、まぁこちらの好みにぴったり合っているわけなですね。
 して向こうはもう大変気に入られてから、もうそのもろうてもらうもんならと思うてなら、話がその、まぁとにかくスムーズな雰囲気の中に進められて、とにかくならあんた方二人で、まぁご飯でも頂いておいでというて、まぁ何時間か時間を、ずっとこう時間が経っても帰って見えないそうです。もうそれがもう、僕は今度の見合い位に気楽にして見合いした事もないし。
 だからもう、本当に思うぞんぶん僕も話すもんだから、向こうも心置きなくその話される。そして、今度の見合いの時間ぐらい僕は短く感じたことはなかったけれど、たいだい僕は神様が良いと,いいなさるなら、今度んとが一番良いけれど、神様がいけんといいなさるならやっぱいけんとじゃねお母さん、とこう帰って言われるそうです。お母さんもそう思うたよって。
 本当にあの、まぁ親先生がいけんと仰るから、もういけんつもりで淡々としてその、まぁこちらがもらおうという思いは少し作りもしなければならないしですね。まぁどういうお話でも、そのしなければならんのだけれども、もうその、もらわんものだとこう思っておるもんだから、もう楽な楽な気持ちで帰ったら、親子とも気に入り、向こうもまた気に入るようであり、又ぜひ一回今度は山口の自宅の方へお出でて。
 とにかく日本中のですね、お米の階級店の総会長をしておられるそうです。お父さんが。だから、その私は米屋でございますけれどもっていうて、ざっくばらんなそれでいて、色々なその趣味やら、嗜好やらも。何か、勿論中村さんが、そこんところ両方のを、それを知っておられるから、まぁ中に立たれた訳でしょうけれどもですね、そんな訳でしたから、今日又参って見えましたんです。
 そしたらあの神様がねどうでも下さらんものならね、あのこちらがどんなに受け身になっとっても下さるはずだから。例えて言うならばこちらから断ろうと思うて向こうに断った時には、もうすでに貫さしならん様になってまぁ見合いだけはしてくれと、断り役は自分だから断ってもらってもいいから、見合いだけはしてもらわなければ今日は困るから、そんなら中村さんの顔立てにという位な事で見合いに行ったんですからね。
 神様がそういう風に、やはり働きかけて下さっておるのかもしれん。ですからそのまあ。中村さんがどんな風だっただろうかと、という風にまぁ又いうて見えるであろうが、その時にはどこまでも一つ受け身で、又これからも何回もあちらの先方にも行かれるだろう、こっちにも来てもらってまぁ色々お付き合いなどして、その話を進められたらよかろうという事じゃった、今日は。
 そすとこの前神様が仰った事は、見合わしたらよかろう。今日はそれではないです。この辺にですね、もう神様のどうにも出来ん一つの演出というものがあるようですね。だから、もう親先生んなら帰って子供にそれを言うたら、子供がどんなに喜ぶか知れません。はあ椛目の先生って偉い方だなぁ、どんな良い人だろうかそういう風にその、違うようだろうとこう言うてその、まぁ喜んで帰られたんですけれどもね。
 もうそれにしたところにですね、もう断る、この前からいかんて言われとったけんで、又こんでよかち言うてから、というような事じゃなくてですね、いかんと言われた時にはいかん。良いと言われた時には良いというもう、本当にこう風に柳が逆らわないような気持ちでおるという事にです、信心を頂く者の安らぎというかね、お任せし切っておる者の、喜びと安心というものがあるのであり。
 そこから、なら良い方へ良い方へと話がまとまっていったり進んでいったりするわけなんですね。ですからここにきを、そのぎこちなくスムーズに頂けれるような信心が欲しいと思うですね。昨日も、佐田さん達が夫婦で参ってきておりましたが、今度は何だったでしょうかね、あっそうそう、わかめが大量,入荷をするからどうぞ買わせてせて頂くようにというお願いがあった。
 ところがその、これは神様が見合わせておいたがよかろうとこういう事であった。先生もうそりばってん、こりゃ安うして、まぁ何じゃけれども,まぁ見合わしときなさいと。そりゃもう何時もの事、例えばあの年末の数の子なんか、でなかったスルメの場合なんかもですね、もう正月前に仕入れのことを願ってあったんです。ところがその大量の入荷がそのあるから,それを仕入れさせてもらうと。
 その時に今神様が止めときであった。それからもう愈々正月が押しせまった4、5日前にそのスルメが大暴落だった。それでいてもう買うてでもおんなら、もう大損じゃたっち。ね、それで安うなったのを正月に間に合わせに買わせて頂いて、それでもやっぱり正月には、そのただ売る、売る小売だけの、あの小売というのはあの、卸をされるのには、やはりあの高値のまま売れたとこういうのですね。
 そういうなら体験がございますもんですから、今度も見合わせであったんです、わかめの事で。ところが昨日その、突然大牟田の大きな乾物問屋が今度破産した。その為にそのいりことわかめをですね、大量に佐田屋こう支店の方へ買うてもらえんだろうかと、しかも七割掛けで良いからと。いうような話があって、それでもうとにかく先生もう御神意を伺わんでしたばってん、買いましたち。
 大体よかったっでしょうかち言うてから、今日いわれるんですね。だから、そういうところをですね、ははーなるほどこの頃神様が買うなと仰ったのは、これを買わせて下さる為だったなぁと、こう答えが出て来るじゃろうが。そうすりゃわざわざそりゃ伺んでも良い。こうして買わせて頂いたというてその、お願いをすればお礼を申し上げりゃもうそれで良いんじゃないかねって。
 なるほどこの前断われと、商売を止めれと仰るもんじゃないですから、商売は益々繁盛益々続けて行く事を神様は願うておられるのであるから。この前はあの、わかめの、どうして先生がああいう買い物があるのに、買うなと仰ったじゃろうかと。ところが、今日になってみて、それがようやく分かって来る。しかもそれがもうとにかく早く決めてくれ、と向こうはそのそういう、特別な事でございますもんですから。
 まぁそれを買われることにして、まぁそこにもその差が、大変な額の、その差だけでも大変な利益になったというそのお届けがあったんですね。そういうところもです、神様任せになるというても、そういう風に自分でですね、我情を取り我欲は離れて、いわゆる自分の思いというものを捨てておるとです、そこに答えが出て来る訳なです、ちゃんと。どういうその今の結婚のお話じゃないですけれどもです。
 いけんと仰ったけれども、向こうの方からどうにも出来ない問題が起こって来る。そりゃもう私は断る役じゃから、断ると私は断るけん、とにかく見合いだけはあなたが行って来てくれと、こういうような話です。見れで行けば双方とも気に入って、しかも家と家との上の向こうの御両親とも大変気分があいそうなとこういう事になるんです。趣味嗜好まで同じだという事になって。
 けれども神様がいけんと仰っておられるから、まぁその楽な気持ちでそれが出来て。実際にならこんな訳でしたと言ってお伺いに、又お礼に出てこられれば、それがこれからは又受け身でおかげを受けておられるから。神様が下さらなければならんものならば、押さえ付けてでも、下さるはずだとこういう事。だからまぁあわてんでも良いというような事だったんですね。
 そういう例えばんなら、あそのおかげ話の中からです、もう神様任せになっておるという事が安らぎ。又神様任せになっておるという事がです、それが痛い思いをすることがあるかもしれん、損をするような思いがする事がないとも限らん。けども、そこのところをですね、私共は一つ達観させてもろうてね、神様任せでおかげを頂いておるのであるからこれは神様がめぐりのお取り払い下さっておるのに違いはないとか。ね、
 神様のご都合には違いはないという頂き方の中からです、神様任せになっていくその信心の、まぁ妙とでも申しましょうかね。お任せさせて頂いておるところに生れて来る安らぎの生活。ね、ですからそこまで神様が信じられるところまで、一つ神様を頂きたいものだと思うですね。
   どうぞ。